プロローグ

 ほんの二ヶ月ほど前、公爵家が一つ、魔物の群れに不意の襲撃を受け、当主を含む多くの
犠牲者を出して国中大騒ぎになった。その上、子供は娘だけで、跡取りとなる男子がいなかっ
たものだから、宙に浮いた権利を巡ってさらに騒がしい事にもなった。

 十七歳の少年・シンクルス=カルレオンも、その話を知ってはいたし、全く無関係でもなかっ
た。その騒乱を機に調子付いた魔物の群れがあちこちに出て、カルレオン家近くでも亜人の集
団が活発に動き出していたからだ。カルレオン家の跡取りとして、領内の治安は守らねばなら
ない。
 しかし年老いた召使の報告は、完全にシンの予想外だった。

「ティロサーム公爵家の人間を引き取る!? 爺ちゃん、そんな用事で行ってたのか。初めて
聞いたぜ」

「いえ、あくまで結果の話ですよ、坊ちゃん。昔、旦那様がお世話になった方の葬儀ですから向
かわれましたが、その後、何やら込み入った話があったようでして。詳しくは帰ってから話す
が、粗相の無いよう家の者には伝えておけ……と、連絡があったのでございます」

 召使の言葉を聞いて、シンは稽古をやめて木刀をおろした。

「いったいどんな理由でこんな田舎に来るんだよ? その家の事、俺は何も知らないぞ」

「四百年続いたこのロノクス国の、比較的初期に王家から分かれた由緒ある家系ですよ。亡く
なられた当主様は学者肌の物静かな方で、悪い噂を聞いた事がありませんな。来られるのは
そのご家族で、お迎えのため、ゼトクルス様が先ほど城を出られました。今ごろ林で合流なさ
れている頃かと」

 それを聞いて、シンの表情が一転明るくなった。

「え、兄ちゃんが!? よし、それなら俺も行くぜ。クーガーの手下でも出たら大変だからな」

 クーガーという名の牛頭人(ミノタウロス)が率いる大きな集団が、一昨年ぐらいからカルレオ
ン領周辺に出没していた。
 今までも何度か行商人が被害にあったが、公爵家の焼き討ち事件からさらに勢い付いてき
た。この一月で、襲撃は三度も報告されている。

「いかに奴らでも、この城の近くにまでは来ないと思いますが」

「わかんねえだろ、念のためだよ! じゃ、ひとっ走り行ってくる……おっと、その前に服だ」

 今、シンはブーツと薄手のズボンしか身につけていない。庭の一角で素振りをしていた最中
なので、上半身裸で汗まみれだ。
 木刀を片手に、シンはその場を走り去る。肩の上でげろげろと、喉を鳴らす蛙が一匹。掌ぐ
らいの大きさの薄緑の蛙に、シンは走りながら言葉をかけた。

「安心しろよ、置いていきゃしないから。公爵家の人間がお前と仲良くしないなんて、決まってる
わけじゃねえからな」

 シンの言葉に応えるかのように、蛙はいちいち喉を膨らませて小さく鳴いた。山間にあるこの
城の塔の一つに入り、半ばにある階の一室に入れば、そこがシンの部屋である。
 木刀を部屋の隅に転がし、ざっと体を拭くと、シンは衣装棚からお気に入りを取り出す。従者
の類など呼ぼうともせず、慣れた手つきで着るのは襟の高い制服。カルレオン子爵家の軍服
である。ただし色はワインレッド――指揮官用の物だ。壁にかけてある剣をベルトに吊るし、服
と同色のマントを羽織って肩の上に蛙を乗せた。鏡を見て確認。少し寝癖はついているが、髪
は短くしてある。左目の下から顎にかけて、帯状に火傷の跡のような痣が走っているが――こ
れは生まれつきの物だ。隠せる物ではないし、隠そうと思った事もなかった。

「こんなもんかな。やっぱり騎士は鎧か軍服だぜ」

 それに答えるかのように、肩の上で蛙が鳴いた。

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